フォト

リンク

無料ブログはココログ

« 『魔剣天翔』 森博嗣 講談社文庫 | トップページ | 『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』 スティーグ・ラーソン 早川 »

2009年6月28日 (日)

『西洋美術史』 高階秀爾 美術出版社

西洋美術史 カラー版 増補新装 /高階秀爾/監修 美術出版社編集部/編集 藤原えりみ/編集 [本] 学生の参考書みたいなもんだから、この本に紹介されている絵から、
心を癒される画家を探すのは間違っているか?(藁
1990年発行なので、もちろん、レメディオス・バロは載ってません。
この本の中から好みの画家をチョイスしますと、
●メルヒオール・ブルーデルラム
(塔の中に人物を配置するのはバロを思わせて気に入った)
●ヒエロニムス・ボッス
(高校生に舐められる地獄のような社会に生きているので、地獄絵は共感した藁)
●ジャン・ルイ・テオドル・ジェリコー
(政府を糾弾する社会派なので気にいった。狂人や死体の絵も見てみたい)
●カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ
(CGみたい、凄えかっちょええ!)
●フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
(反戦というか、レバンチェスタに共感します)
●オディロン・ルドン
(怪物だ、ファンタジーだ、SFだということで、親しみ易い)
●エドヴァルト・ムンク
(叫びに感動しない奴は、絵を見る必要はないと思う)
●ジォルジオ・デ・キリコ
(寂寥感がたまらない、ハァハァ…)
●サルバドール・ダリ
(メカがぐにゃりと撓むのはインパクトあるよな)
こんなもんか?
ルネ・マグリットは文だけで絵が紹介されてないのは、意外だ。
中学か高校の教科書に、マグリットの絵は載っていたと思うが、
まあ、それには、あんまり感動しなかったが、
バロの展覧会の図録の中の、バロが参考にしたマグリットの絵は
面白かった。
あんな絵も描いていたと知っていたら、マグリット展観に行ったのに~。
教科書や参考書に紹介されている絵のみで、画家の全てを理解した気になるのは浅はかだと、
今頃気付いた。
でも、この本は参考書なので、参考書として、知っておくべき事柄のノートを取るか。


Ⅰ原始美術と古代オリエント美術


Ⅰa原始美術<primitive art>


旧石器時代の美術


洞窟絵画、岩陰彫刻、動産美術。
オーリニャック期。
ソリュトレ期。
マドレース期。
ラスコー洞窟に描かれたビソン<野牛>。
アルタミラ洞窟。
歪曲描法。


Ⅰbメソポタミア美術(サーマッラー期BC5100頃~4500頃ハラフ期~4200頃)


シュメール美術(ジュムデト・ナスル期BC3000前後)


アッシリア美術


アカイメネス朝ペルシア美術


Ⅰcエジプト美術


マスタバ形式の墓。
宗教建築。
アカデミズム。
絶頂期新王国時代(BC1786頃~1567頃)。
建築複合体。
多柱式建築。
アマルナ時代。
写実主義ロボと理想主義ロボが合体する。
更に多段合体ユニットとして色彩主義ロボも登場する。(いかん、やはりギャグを入れたくなる藁)
自然主義美術。
約三千年に及ぶ長大な時間的拡がりを有してるにもかかわらず、様式がほとんど変化せず一貫している。
それは沈め浮彫のような特殊なロボを生むことになる。
(↑やはり、ギャグに走るのか藁)

Ⅱギリシア美術とローマ美術

古代美術史家の蒼き巨星はフルトヴェングラー(1853~1907)。
グフでガンダムに挑むもアムロに撃破される。


Ⅱaクレタ美術とミュケナイ美術


エヴァンズのクノッソス発掘。
ミュケナイ美術はクレタ美術を受容しながら発展。
城壁など防御施設が貧弱で、自由であるがゆえに秩序に欠けるクレタ建築。
ミュケナイ建築は、堅牢な城壁を巡らせた城塞と王宮を兼ねる建造物に特徴をもち、
メガロン<平面長方形の住宅形式>のような整然としたプランを有する建物を中核に置いていた、
後のギリシア建築を特徴づける構築性が既に認められる。
豊かな自然主義から簡潔で硬直化した形式主義へと推移するミュケナイ美術の変遷理由は謎である。
う~む、これは、推理の盲点を突いた捻りの効いたトリックだぞ(藁


Ⅱbギリシア美術

幾何学様式時代


原幾何学様式。
世界各地の先史古代美術に認められるが、
ギリシア美術が一線を画するのは、モチーフのみならず、
配置、構成も幾何学的。


アルカイック美術


黒像式陶器画。


クラシック時代


四色主義<テトラクロミズム>。
クラシック様式初期段階の彫刻は厳格様式。
絵画における秩序とは空間構成。
アポロドロスは、舞台背景画<スケノグラフィア>で
線的要素<幾何学的遠近法>ロボと色彩的要素<空気遠近法>ロボを合体させて、
絵画的空間の構築法をパワーアップさせたが、
宇宙要塞ア・バオア・クーでアムロガンダムに倒された。
パラシオスは寓意的表現に優れていたが、
ニュータイプに目覚めたアムロの敵ではなかった。
アペレスは明暗法<スキアグラフィア>、ハイライト<ルーメン>、遠近法を駆使して戦ったが、
肺癌で死んだ。


ヘレニズム時代

美術の産業化<大衆化>により古典主義美術の伝統が一時途絶える。


Ⅱcエトルリア美術とローマ美術


エトルリア美術


文月今日子の漫画を参照せよ(マイナー過ぎる藁


ローマ美術


ネオ・アッティカ派の洗練されたクリアーな味の古典主義美術はローマ帝国で大ヒット商品となる。
厳格な左右対称性、神殿の高い基壇、コリントス式柱頭の多用、内部空間の重視がローマ建築の特徴。
バシリカ<多目的公会堂>という新型ロボがロールアウト開始。
メガログラフィアと呼ばれる360度大画面全周操縦システムも開発された。
風景画的要素の強い神話画、神話的風景画も発達する。
主要人物のみをより大きく表わす表現主義的傾向が生まれ、
帝政末期にはそれが主流になる。
アウグストゥスやユリウス・クラウディウス朝の皇帝たちは、
理想化された古典主義によって表わされているが、
五賢帝時代からセウェルス朝時代の皇帝肖像は、
その内面性をも明らかにするような写実主義に変遷した。

Ⅲ中世Ⅰ初期キリスト教美術・ビザンティン美術・初期中世美術

Ⅲa初期キリスト教美術

キリスト教の誕生から5世紀後半にかけて生み出された東西キリスト教美術全体を指す。
高価なプロトタイプのモザイクロボは、安価な量産タイプのフレスコ画ロボに取って代わられるようになる。

「カタコンベ」の時代

キリスト教徒が死者を埋葬するため地中に網の目のように掘り巡らした地下墓所。

「教会の勝利」の時代

教会堂建築の外観が質素で、内部が豪華なのは、地上の現実的な世界と神の霊的な世界の対照を見る者に印象づけようとする意図がある。
ローマのサンタ・マリア・マッジォーレ聖堂は、バシリカ式建築(ローマ人が集会場に使用していた公共建築の形式を踏まえたもので、もっぱら一般信徒の礼拝用の大型教会堂に使われている)の面影を今に伝える数少ない教会堂。
モザイク装飾は、人物、建物、街などを思い切って単純化し、自然な奥行きや運動感よりむしろ、物語の図式的な叙述に重点を置いている点で、「教会の勝利」の時代の様式と図像構成の特徴をよく示している。
キリスト教美術は古代ローマ末期の古典的な様式を離れ、華麗な金地や多様な装飾モチーフを取り混ぜた東方的色彩の強い荘厳美術を生み出すに至った。

Ⅲbビザンティン美術

宮廷の儀式的な側面にかなう荘厳な様式、物質的・肉体的なものより精神的・霊的なものを求める理知的な傾向、鮮やかな色彩や金地を贅沢に使う装飾性が特徴。

第一次黄金時代

新型円蓋式バシリカロボに襲われMACステーションは壊滅。オオトリゲン以外のMAC隊員全滅。モロボシダン行方不明となる。
サン・ヴィターレ聖堂のモザイクの左右対称性を重視した正面向きの人像は、動きを排除することによって対象の精神的強度、超越的性格を表わそうとする荘厳美術特有の表現。
この時代の教会堂の柱頭や内陣障壁には、象徴的・抽象的な浮彫装飾が施されている。
丸彫彫刻のように三次元的な実体を持つものを拒否する傾向。
イコン<木板、象牙板、金属板などに描かれたり彫られたりした、キリスト、聖母、聖人などの画像>。
写本技術。

第二次黄金時代

人文主義。

Ⅲc初期中世美術

メロヴィング朝

エマーユ。
典礼書、旧約注解書。
メロヴィング朝写本は、様式の点で古代の自然主義的表現と明らかな対照をなしており、絵画芸術が、エマーユや象嵌など貴金属工芸から多くの技術を学んでいたことを示している。
機甲猟兵メロウリンクのギャグ入れようと思ったが思いつかなかった(藁。
無理して入れるなと言われそうだが、
女優と結婚する為にTVに出ているお笑い芸人より、私はギャグに命賭けてます。
笑えないのはTVに出てる芸人も同じだろうが、ネタとして芸は私の方があると思う。

カロリング朝

古代復興。
ヤマトは何度でも甦るのです。きゃあああ!
アダ写本群。

Ⅳ中世Ⅱロマネスク美術ゴシック美術

Ⅳaロマネスク美術


11世紀後半から12世紀。
修道院が学問や美術の中心。


巡礼路聖堂


重厚な石壁と暗い内部空間を特徴とする。


「枠組の法則」


ロマネスク美術特有の精神的な強度をその生き生きとした表現のなかに溢れさせている。


絵画と工芸


ロマネスク教会堂の天井や側壁には、厳しいキリスト像、神々しい神母像、あるいは聖書や聖人伝を題材とする説話的な諸主題が、ヨーロッパ北部諸地域ではカロリング朝の伝統を継承しながら、南部諸地域ではビザンティンの範例を手本としながら、力強い筆致で描き出されている。
大胆な装飾性と強烈な色彩対比を特徴とするモサラベ美術。
金銀打出。
モザン派。


Ⅳbゴシック美術


ゴシックという用語は、「暗黒時代」の「野蛮」な遺物を指す蔑称として長く用いられてきたが、19世紀に入り中世美術再評価の動きもあり、今日では、12世紀後半から15世紀にかけての美術全般を指す文化史的用語として広く定着している。
ロマネスク美術が優れて知的な象徴体系の上に成り立ち、その高度な思弁性のゆえ、ときとして抽象的な表現に陥りがちであったのに対し、ゴシック美術は、人間的で、ときに優美なまでの、写実的な表現を特徴とする。また、威厳にみちた神の像よりむしろ慈愛にみちた母の像が好まれ、各地の司教座都市には、聖母<ノートル=ダム>へ捧げられた大聖堂が相次いで出現。


修道院院長シュジュールの時代


円柱人像。


大聖堂の時代


ゴシック彫刻は、S字型に捻った姿態、柔和な相貌、流麗な衣襞などを特徴とする、古典主義的な美の理想を、聖母子を主題とする小型彫像において実現。


「国際様式」の時代


「国際ゴシック様式」。
典雅な線のアラベスクを追求したシエナ派の画風。

Ⅴイタリア初期ルネサンス美術15世紀の北方美術

Ⅴaイタリア初期ルネサンス美術

ルネサンスは「再生」を意味するイタリア語リナシタから派生した呼称。
「古典古代文化の復興」。
「人間性の回復」。
「意志さえあれば人間は何事もなし得る」。
イタリアに生まれた「三次元世界の投射像としての絵画」という概念を確立した透視図法<線遠近法>。


初期ルネサンス建築

フィリッポ・ブルエルレスキ。
レオン・バッティスタ・アルベルティの「絵画論」「彫像論」「建築論」。
ペディメント。


初期ルネサンス彫刻

コントラポストに留まらず、英雄の裸体という大胆な試み。
ルカ・デルラ・ロッビアが得意とした彩色テラコッタの技法。トンド<円形装飾>。


初期ルネサンス絵画

フレスコ

ネーデルランドで発明された油彩画はやがてタブローの全盛時代を齎すが、ワンセブンサブローの特攻作戦はサブローは脱出に成功する。
当時一般的だったのは、<ブオン>フレスコという技法で、壁の表層に塗られた薄い漆喰層がまだ乾かぬうちに水溶性の絵具で描くことから、
英語のフレッシュに相当するこの名で呼ばれた。
絵を描く予定の面積<ジョルナータ>を観察すると、画家の能力を推察出来る。
フレスコ画は無比の堅牢さを誇ったが、湿気の多いヴェネツィアでは、キャンヴァスを壁に貼るようになった。


マザッチオと遠近法の成立

マザッチオはジオットのように輪郭線に頼らず、光の明暗によって量感を表わした。
一点消失透視図法を用いた最初の絵画は、マザッチオの「聖三位一体」。
マザッチオの先例に挑んだウッチェルロは、「サン・ロマーノの戦い」で、一点に収斂する平行線を持たぬ為に、
本来は透視図法<線遠近法>の適用が不可能な筈の田園風景の中にまで、敢て持ち込んだ。
マザッチオの空間表現や繊細な光の描写を積極的に取り入れたのは、フラ・アンジェリコ。
フラ・アンジェリコの宗教画は、柱廊玄関<ポルティーコ>などの当世の風俗が描かれているが、
ポルノやチィンコを連想する風俗産業の面影は無くて、純粋無垢な印象を与える。


ルネサンスの波及と展開


解剖学的知識の深い理解を示すなまなましい人体表現は、アンドレア・デル・ヴェロッキオの
「キリストの洗礼」にも見られる。この絵はヴェロッキオ門下のレオナルド・ダ・ヴィンチが
初めて師と協業した作品としても名高い。
フィレンツェ以外で15世紀末期に活躍した画家は、マントヴァのアンドレア・マンテーニャが重要。
マントヴァ宮殿の結婚の間の天井画は、知的遊戯の対象としての透視図法の把握を示す恰好の作例で、
バロック期のイタリアで流行するイリュージョニズム天井画の魁!男塾である。


Ⅴb15世紀の北方美術


ネーデルラント絵画


ヤン・ファン・エイクの「ニコラ・ロランの聖母」は、人物のいる室内に視点を設定し、
テラスの背後に遥かな風景を描くことによって、前時代の画家たちが果し得なかった
室内と外景の完全な統合に成功した画期的な作品。
近接視点の設定や絶妙な光の描写によって、まったく不自然さを感じさせない。
空気遠近法を駆使した奥行き感豊かな風景描写は、以後のネーデルラント画家のお家芸となる。


フランスとドイツの絵画

アルザス出身のマルティン・ションガウアーは銅版画の技法を高め、次世代の巨匠デューラーを生む土壌を形成した。

Ⅵaイタリア盛期ルネサンス美術

巨匠たちの芸術

ヴァザーリはレオナルド・ダ・ヴィンチを新しい様式の創始者と見做し、「芸術家列伝」の第三部をレオナルドの伝記で始めている。
ルネサンスの芸術家には多方面で活躍する者が珍しくなく、ヴェロッキオも彫刻家・画家・金工家を兼ねていたが、レオナルドは更に広範囲の自然科学作戦に対応出来る万能ロボであった。
絵画におけるレオナルドの構想の新しさは「最後の晩餐」に明らかである。
慣例に反してユダをキリストや他の弟子たちと同じ側に表わしたことで、場面の劇的緊張感は著しく強められた。
裏切り者の存在を告げるキリストの言葉に、ユダを含め弟子たちは雄弁な身振りで各人各様の反応を示している。
「モナ・リザ」では、レオナルドが案出、ないしは発展させた新しい技法、「スフマート<ぼかし>」と空気遠近法が駆使されている。
スフマートは、明暗の微妙な移行により、形態を柔らかく浮かび上がらせたり周囲に溶かし込んだりする技法である。
この技法は画面に新たな統一感をもたらし、人物に豊かな生気を与える。
空気遠近法とは、遠方の対象が固有の色彩を失い青みを帯びて霞むことを応用して、色彩で画中空間の奥行きを暗示するもので、
既に、15世紀ネーデルラント絵画に見られるが、レオナルドはこの技法と明暗法を組み合わせ、
奥深い空間に神秘的雰囲気を与えている。
レオナルドは万能変形ロボであったが、ミケランジェロは人型に拘って、変形合体はしなかった。
石塊という物質の牢獄からの彫像の解放と看做す彼の考え方には、肉体を魂の牢獄と見做す新プラトン主義思想の反映が認められる。
ラファエルロ・サンツィオはレオナルドやミケランジェロの業績から学んだものを完全に同化し、晴朗静謐で調和的な独自の絵画世界を確立した。
人物表現の自然さと画面構成の形式美をともに追求して無理を感じさせないラファエルロの特徴は、「椅子の聖母子」に典型的な形で現れている。
ジォルジォーネはデッサンに彩色するフィレンツェの伝統的手法に対し、始めから色彩で造形する新しい手法を確立した。
ティツィアーノ・ヴェチェルリオは「近くから見るとわけが判らないが、離れて見ると完璧な絵が浮かび上がってくる。一気呵成に描かれたようだが、実は何度も筆を加えている」とヴァザーリが評した独特の様式に到達、近代油彩画の創始者となった。

マニエリスムとその他の動向

マニエリスムという名称はイタリア語の「マニエラ」に由来する。
この言葉は「様式」や「手法」を意味するが、ヴァザーリはこれに「自然を凌駕する高度の芸術的手法」という意味を与えた。
しかし17世紀に入ると「創造性を失った模倣者の芸術」という蔑称に転化する。
20世紀に入ると評価と切り離された時代様式名として「盛期ルネサンス後の芸術動向」を意味するようになった。
マニエリスムの解釈、あるいは盛期ルネサンス以後の16世紀イタリア美術の解釈は、今なお流動的である。
しかし、少なくとも形式に関しては、マニエリスムは盛期ルネサンスの否定ではなく、盛期ルネサンス美術の特徴をなす
「自然らしさと自然ばなれの釣合い」が崩れて、自然を超えた洗練、芸術的技巧、観念性等がもっぱら追求されるようになったものと見做しうる。
様式的特徴としては、コントラポストを極端にした荒木比呂彦のポーズ、人体の自然な比例を逸脱した極端な少女漫画化、冷たく鮮やかな色調、表面の滑らかな仕上げ、短縮法や遠近法の誇張、非合理的空間表現などが挙げられる。
エル・グレコの人物の長身化や様式化、非現実的空間表現等のマニエリスム的特徴は、ヴェネツィア絵画に由来する大胆な筆触と結びついて、神秘主義的な宗教画を生んでいる。

Ⅵb北方ルネサンス美術

ドイツ

アルブレヒト・デューラー(版画家)
「四人の使徒」は荘重な形姿に深い内面性を盛り込んだ油彩画の代表作。
自画像は、ルネサンスのイタリアで生まれた「創造者としての芸術家」という新しい意識の反映として注目に値する。
「人体均衡論」等の著述にも力を注いだ。
マティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」はゴシック末期美術の幻想性と激しい表出性を濃厚に留めている。

ネーデルラント

15世紀には、ネーデルラント絵画は独自の特色を発揮してイタリア絵画と並び立ち、油彩技法と、これを生かした写実的表現において、
イタリアに影響を与える側であった。
15世紀ネーデルラントの宗教画に含まれていた風俗画、風景画、静物画の萌芽が自立に向うのも、イタリア化と並ぶ16世紀ネーデルラント美術のもうひとつの特色である。

Ⅶバロック美術ロココ美術

Ⅶa17世紀の美術

「バロック」の語源は「歪んだ真珠」「規範からの逸脱」を意味するポルトガル語。
否定的な意味で17世紀の美術、ことに建築に適用された。
現在では「バロック」は価値判断から独立した様式概念となっているばかりか、
ほぼ17世紀全体を指す時代概念としても使われる。
バロック様式の特徴は誇張や劇的効果の追求。
劇的で奔放な狭義の「バロック」。
光の効果に対する関心もこの時代の特色。


イタリア

アカデミア(画塾)。
ボローニャ派。
18世紀の古典主義者が「バロック」と形容したのは、まさしくボルロミーニの建築様式。


オランダ

17世紀オランダ絵画は依然として中世的な思考法を受け継いでいたが、
レンブラント・ファン・レインは例外であり、静物画を除くあらゆる画種を手掛けている上、
ルネサンス以来の正統的分野である構想画(宗教画・神話画・歴史画)にも力を入れ、
更にエッチングの大家でもあった。
晩年のレンブラントは、絵具を厚く盛り上げて、それ自体輝かしく魅力ある絵肌を作り出すなど、
油彩技法の面でもきわめて斬新。


ドイツ

南ドイツとオーストリアのカトリック宗教建築は、イタリア・バロックの強い影響化に、比較的簡素な外観とストゥッコ(漆喰)装飾を多用した華麗で晴れやかな内部空間の対比を特徴とする様式を生み出した。


Ⅶbバロックからロココへ

ロココの語源は、バロック庭園の人工洞窟に付された貝殻などを嵌め並べた装飾の名称ロカイユである。
そして1730年代に、当時流行していた複雑精妙な曲線からなる装飾デザインがロカイユと呼ばれ始めた。
ロココの語は新古典主義時代に、ルイ15世時代の美術に対する蔑称として生まれたが、
現在では中立的な美術史用語。


ロココ建築と庭園

純粋なドイツ・ロココ建築の例としてはヴェンツェスラウス・フォン・クノーベルスドルフによるシャルロッテンブルク城の室内装飾などがある。


ロココ絵画

フランス

アントワーヌ・ヴァトーは曲線を複雑に組み合わせたアラベスク模様やシノワズリ(中国趣味)の装飾デザインを行った。
ジャン=バティスト・グルーズは教訓めいた絵で啓蒙主義の哲学者ディドロに絶賛された。
ディドロによって始まった美術批評や、画商の増加や、
版画、水彩、パステル、素描などのロジスティックに手軽な分野の流行が美術市場の活性化に役立った。

Ⅷa市民社会の芸術

新古典主義
古典古代<ギリシア・ローマ>の美術を自分達の美術の規範にしようという運動。

ロマン主義
主観的な激情に溢れ、社会的矛盾をリアリスティックに糾弾する運動。
世界征服を目指したナポちゃんへの怒りが原因でもある。
普遍的な古典古代文明から国々の特殊性へと関心が移行。


写実主義
技法名の写実主義と混同してはならない。
様式名の写実主義は、社会の現実を写して残そうという運動。


Ⅷb建築
とくになし。


Ⅷc彫刻と工芸


ゴシック彫刻を思わせるものもある。


Ⅷd絵画

フランス

ジャック=ルイ・ダヴィッドはプッサンの確立した物語画(歴史画)の手法を厳格に応用し、
「テニスコートの誓い」などを書いた。
ジャン=オーギュスト=ドミニック・アングルの物語画は19世紀前半のアカデミズム絵画の折衷的な特徴を示している。
ジャン・ルイ・テオドル・ジェリコーは帝政末期に大陸軍の兵士や馬を描くことで画家として出発し、
1816年に起きたフリゲート艦メデューズ号の政府の責任による難破事件という
時事的なテーマを「メデューズ号の筏」という大作に描き上げて絶賛された。
このほかにも彼は短い生涯に狂人や人体の断片などの非古典主義的なテーマを開拓し、天才と呼ばれ
激しいタッチによる運動感の表現によって、
ロマン主義絵画の最初のマニフェストを行った。
ジェリコーの作品は新時代の美意識のマニフェストであった。
ウジェーヌ・ドラクロワはジェリコーを真似て、ロマン主義の技法は完成させた。
しかし、作風はロマン主義的だが、表現したい激情が彼の主観にあったとは読み取れない。
文学的歴史的テーマを描くことが主流であった19世紀前半の画壇で、
バルビゾン派の画家たちはパリ近郊のフォンテーヌブローの森などのありふれた風景を製作した。
テオドル・ルソーは自然に及ぼされる光の効果の表現に優れている「アブルモン、柏の木群」を描いた。
一人静かに、絵を描いたり本を読んだりするのが好きな内向的な少年馬場正平は、
中学で美術部に入ったが、いい体してるんだからスポーツしないともったいないと他人に強要され、
心優しい正平は、他人が喜ぶのならと野球部に転部し、
後に巨人軍に入団することになるのだが、根が真面目な彼は、
フロントや監督にお歳暮等の付け届け(ようは賄賂だね)を送るという発想が出来ずに、
登板機会をあまり与えられずに、干されて、大洋にトレードされるのだが、
大洋の宿舎での事故で野球人としての能力は失った。
スポーツは、他人と競うという競技。ルールが厳しくて安全性が高いといっても、本質は戦争、他人との喧嘩である。
正平青年は他人と争うのが嫌いなので、スポーツで生計は立てたくなく、
真面目に地味にサラリーマンになるつもりだったが、
力道山に誘われてプロレスをする破目になる。
人が喜ぶのならと、嫌いなスポーツを続けてきたが、
怪我で入院した彼は、人の為ではなくて、自分の為に静かに生きたいと思い詰め、
入院したまま死んだ事にし、フランスに渡った。
フォンテーヌの森で静かに絵を描いている大男を見かけても、
声をかけてはいけない。
彼は他人の為にしたくもない喧嘩を何十年もしてきたのだから、そっとしといてやれ。
静かに絵を描くおとなしい人物。
絵を描くことが一番好きな人物。
画家とはそういう人種だと思うが、
卒展で「帰れ!バカヤロー!!」
と入場拒否という喧嘩を吹っかけてくる某高校美術科は、
プロレス科に改名し、猪木でも先生に迎えるように。
喧嘩嫌いで美術が好きな男の苦悩など、あなたたちには理解出来ないでしょうな。


イギリス

アメリカ出身のベンジャミン・ウエストは、完璧に古典主義的な物語画を製作した。
19世紀前半のイギリス絵画は風景画の黄金期であった。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、光の表現に情熱を燃やし、
「カルタゴを建設するディド」「雨、蒸気、速力ーグレート・ウェスタン鉄道」等を描いた。
ジョン・コンスタブルは、率直に自然を見、表現することによって19世紀の風景画の方向を定め、
印象派の画家たちにも大きな影響を与えた。


ドイツ


ドイツロマン派は二つに分類出来る。
一つは、エルベ河畔の町ドレスデンにおける風景画の発展である。
天才カスパル・ダーヴィト・フリードリヒは1790年代の終りにこの町に来て生涯をここで過し、
宗教的象徴的意味を担った観念性の強い「氷洋の難破船」等の風景画を製作した。
彼の描く広大な風景は世界そのものを暗示し、
鑑賞者に背を向けて風景に向かい合う人物は人生の苦悩に立ち向かう人間を示している。
断崖は死の、遠くに開けた眺望は形而上的な救済の象徴である。
航行する帆船は人生の旅路に乗り出している人間であり、
難破船は挫折を意味する。
彼の風景画は隅々にいたるまで人間の生の根本的な問題を巡って構想されており、
時には文学性と哲学性の過剰を感じさせるほどであるが、
一度目にすれば忘れることの出来ないその視覚的印象の強烈さが、
実は鋭い観察力と描写力によって生じていることを忘れてはならない。
主観の投影としての自然という彼の思想は純粋にロマン主義的な風景画観を示すものである。
もう一つは、プリミティヴィズムのナザレ派。


スペイン

フランスのダヴィッドとほぼ同時代を生きた
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは、
世紀の転換期のスペイン美術を一人で代表する大巨人であった。
イタリア留学のあと王室のタピスリ工場の下絵描きの職について、
風俗的なテーマをロココ風の華やかな色彩と軽妙なタッチで描いたカルトン(原寸大下絵)を多数製作した。
1780年代末には王の画家、1799年には首席宮廷画家の地位につき、
強力なパトロンにも恵まれていたゴヤであったが、
その芸術の本質を決定しているのは宮廷芸術家としての華やかなキャリアではなく、
1792年末の病気で全聾になったこととナポレオン軍による祖国の蹂躙を体験したこととであった。
フランス革命勃発の頃、啓蒙思想に関心を抱いたゴヤは、
革命が引き起こした戦争という現実に裏切られ、
全聾の悲劇に見舞われて、
1799年に人間性の愚かさと虚偽を呵責なく暴いた「きまぐれロス・カプリチョス」
と題する版画集を出版した。
同じ頃、宮廷画家としては、卓越した描写力を感じさせる「カルロスⅣ世とその家族」などの肖像画、
二点の「マハ」(伊達女の意)像を描いている。
ナポレオンのスペイン支配の時代に、ゴヤは戦争の壊滅的な力を暗示した「巨人」や、
フランス軍に素手で立ち向かった民衆の処刑を描いた「1808年5月3日」を製作している。
戦争や侵略への憎悪は版画集「戦争の惨禍」を生んだ。
公的な生活から退いた最晩年に暮らしていた家の壁に描いたいわゆる「黒い絵」連作は、
ゴヤが生涯にわたって体験した個人的社会的な悲惨を強迫的な映像で表現した特異な作品である。
ゴヤは主観的な情熱を作品に託した点ではロマン主義美術の先駆者であり、
おのれの人生の課題を制作に直接に反映させた点では
芸術の近代的なありかたを示した最初の芸術家といえる。
近代芸術はゴヤに始まった。ゴヤ以前の芸術はもはや芸術ではない。
歴史資料として研究者に、投機の対象として金持ちに意味があるだけで、
観て感動する芸術はゴヤ以前には存在しないのだ。

Ⅸ近代Ⅱ印象主義・象徴主義・後期印象主義

Ⅸa技術と進歩の時代の芸術

万国博覧会が始まった時代だぞなもし。

Ⅸb建築と都市

折衷主義。
快楽主義的。
機能主義。
アール・ヌーヴォー。


Ⅸc彫刻

とくになし。


Ⅸd絵画

写実主義から印象主義へ

印象派
エドゥアール・マネは、アカデミズムの画家クーチュールに学び、ルーヴル美術館の展示作品を研究して画風を形成した。
とりわけ、ゴヤという大巨人を生んだスペイン絵画をマネは真似した。(書くと思っていたでしょう?藁
マネの「オランピア」は古典的な伝統を近代絵画に繋ぐ役割も果たした。
日本芸術はジャポニスムと呼ばれて、イレール=ジェルマン=エドガー・ドガ等に影響を与えた。
印象派という言葉は、1874年に、クロード=オスカー・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ポール・セザンヌ、ドガ、カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレーらが開いた展覧会に際して、
ジャーナリストが彼らの作品のスケッチ的な性格を揶揄してつけた。
中心的な印象主義の画家は、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー。
バルビゾン派のロマン主義的な自然に対する思い入れに対し、彼らは都市生活者の軽やかなまなざしを風景画に持ち込んだ。
印象派の技法は「筆触分割」と「視覚混合」。
これは、ある色を得るためには絵具を混ぜ合わせるより、純色の色班を並置して、離れて見るとそれらが混ざり合って見える視覚の作用を利用した方が鮮やかな色が得られるというもの。
構図的には極端な俯瞰構図など。
クロード・モネは感覚主義の極致。


象徴主義


象徴主義は、主題や表現手段の上できわめて多様な形を取った国際的な潮流。
イギリスに現れたラファエル前派は、最初の象徴主義の運動の一つにかぞえられる。
ラファエル前派兄弟団は、ラファエルロ以後の西洋絵画を退廃とみなし、それ以前のイタリアやフランドルの芸術のもつ誠実で精神的な在り方こそ理想的な姿としてそれへの回帰を主張した。
スイスのアルノルト・ベックリーンは、物質主義の現代を捨てて、どこにも見出せない理想の国を目指した一人であった。ディオニュソス的な生命力と死の静寂の漂う「死の島」などを描いた。
フランスでは、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌとギュスターヴ・モローが、19世紀前半のロマン派と世紀末をつないで象徴主義の重要な画家となった。
モローが作り出した驚くべきイメージ、とりわけサロメのような邪悪で魅惑的な女性像は、オーブリー・ヴィンセント・ピアズリーやグスタフ・クリムトなどの画家や世紀末の文学、音楽全般に大きな影響を与えた。
オディロン・ルドンは、版画をブレダンに学び、ドラクロワの絵画や当時の文学、音楽に深く親しんだ。
彼はまず版画家として、ニュアンスに富んだ黒の世界の中に夢と神秘、憂鬱な情緒や無意識のおののきを表現した。
1890年代以降、草花やギリシア神話を題材にパステルや油彩による彩色画を製作、
象徴主義の最も豊かな絵画表現を生み出している。
象徴主義は19世紀末にはベルギー、オランダ、スイス、オーストリアなど全ヨーロッパに広がり、
ユーゲントシュティル、アール・ヌーヴォーなどと呼ばれる世紀末の美術運動と密接に絡み合いながら、20世紀の芸術を準備した。


後期印象主義

後期印象主義とは、ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、ジョルジュ・ピエール・スーラ、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを中心に、印象派から様々な傾向が現れて1905年のフォーヴィスムの登場へとつながる時代を包括する便宜的な概念である。
セザンヌは一つ一つの色面が光の感覚を伝えると同時に空間内における対象の位置、物質的存在感をも表わす独自の製作法を「サント・ヴィクトワール山」で作り出した。それは平面的なナビ派の画面意識も、後の立体派「キュビスム」の両義的な形態/空間表現をも予告するものであった。
ゴーギャンは総合主義の様式を確立した。あざやかな色彩を単純化された輪郭の中に平塗りする技法によって、想像力の生み出す観念、抽象的な気分を描き出すこの様式は、当時ゴーギャン周囲にあったエミール・ベルナール、ルイ・アンクタンなどいわゆるポン・タヴェン派(ブルターニュのこの名の村に彼らが集まった)の相互影響の中から生まれたものであった。
オランダ出身のゴッホの「アルルの夜のカフェ」は、夜の生活の退廃に対するゴッホの想い、観念が赤や緑の色彩に託されて、激しい表現主義的な絵である。
ノルウェーのエドヴァルト・ムンクもゴッホと並んで20世紀の表現主義の出発点となった。

Ⅹa世紀末から20世紀へ

1900年という世紀の変り目の年をはさんで、第一次世界大戦の幕が切って落とされるまでのほぼ四半世紀を、
フランスでは「ベル・エポック」(良き時代)と呼ぶ。
「アール・ヌーヴォー」(新しい芸術)。
「ユーゲントシュティル」(青春様式)。
「モダン・スタイル」(近代様式)。
国により、地域によって異なった名称を持ってはいたものの、造形美術のみならず、
建築、工芸デザイン、ポスター、挿絵など広くあらゆる分野にわたって相互に交流影響が見られ、
華麗な曲線模様を主体とした斬新な装飾文法を中心に新しい美学が追求された。
分離派の精神も同じようなもん。
アドルフ・ロースは「装飾は犯罪である」として純粋な造形性を求めた建築家。


Ⅹb変貌する建築と彫刻

新しい建築の波


19世紀においては、建築家の主要な役割は、一つの建物を、それももっぱら外観を、
どのようにデザインするかという問題に限られていた。
だが、産業革命以後急速に巨大し、複雑化して絶え間なく変貌するようになった現代社会においては、
建築家は一つの建物を完成させるだけではなく、
その建物の社会における機能やあり方にもいっそうの配慮を払わなければならないようになった。
つまり、都市計画、地域開発、交通網の整備、社会機能の再編成など、
総合的なプログラムの企画と推進に、建築家の創造的エネルギーが求められるようになった。
20世紀建築は、理知的、合理主義的な機能主義建築と、
感覚的、表現主義的な有機的建築の二つの流れに分けることができる。
機能主義建築は、形態よりも機能を優先させる。
機能主義建築は、合理的形態とともに、規格化、プレファブリケーション(組立家屋部分品製造)による
大量生産の可能性とも結びつく点できわめて現代的な性格を持っているが、
他方、そこには、文字通り機械のような冷たさを感じさせるものもある。
それに対して、いっそう感覚的、人間的な建築を求める流れが、
有機的建築と呼ばれるものである。
有機的建築を代表するのは、シカゴ派の巨匠ルイス・サリヴァンに学んだアメリカのフランク・ロイド・ライトである。
戦前の帝国ホテルの設計者でもあるライトは、建物はその土地ごとにふさわしい個別化されたものでなければならないと考え、
内部の空間が一つの有機体のように必然的なつながりを示す個性的な建築を造って、
後の世代にも大きな影響を与えた。
30世紀にマゼラン星雲の新地球にサイバークローンとして甦ったライトは、
ロール・エンディミオン邸として落水荘2号館を作り、
救い主アイネイアーに建築を教え、宇宙征服を企む悪のカトリック教会から銀河を救うために戦った。


現代彫刻の展開

キュビスムの彫刻は、絵画においてと同じように、大胆に対象を解体し、再構成して、構成主義や抽象彫刻にもつながる新しい造形表現をもたらした。


Ⅹc20世紀の新しい絵画運動

フォーヴィスムと表現主義


1905年、パリのサロン・ドートンヌの一室に集った若い画家たちは、その激しい鮮烈な色彩表現のゆえに、当時の批評家から「フォーヴ」(野獣)と呼ばれた。
フォーヴィスムは20世紀最初の絵画革命。
フォーヴィストは、新印象主義の色彩理論やゴッホの激しい原色表現の影響を受けて色彩の独自の表現力にめざめ、
色彩を再現的、写実的役割から解放して直接感覚に訴える表現手段たらしめようとした。
アンリ・マティスは一時キュビスムに惹かれたが、その後明快な色彩を生かした豊麗な調和の世界に到達した。


キュビスムと未来派

フォーヴィスムが色彩における絵画革命であったとすれば、キュビスム(立体派)は形態と構成における革命。
スペインで生まれたパブロ・ピカソは、20世紀の初頭からバリに住み付き、90年に及ぶ長い生涯にわたって絶え間ない革新と大胆な実験を試み、
20世紀芸術の方向に大きな影響を与えた。
パリに出て来た当初の「青の時代」では、貧しい人々や母と子などをテーマに、青春の抒情を暗い青の色調の中に歌い上げたが、
次いでいっそう構成的な「バラ色の時代」を経て、1907年、キュビスムの出発点とも言うべき「アヴィニョンの娘たち」を生み出した。
そこでは、黒人彫刻や古代イベリア美術などのブリミティヴ芸術の影響による大胆なデフォルマシオンと、セザンヌに学んだ知的構成が一つになって、
それまでになかった新しい絵画世界が実現されている。が、「キュビスム」(立体派)という名称を最初に与えられたのは、ピカソではなくて、
ジョルジュ・ブラックである。
ピカソは、WWⅠ中のイタリア旅行を契機に平明な新古典主義の世界に復帰し、さらに1930年代には「ゲルニカ」に見られるような激しい幻想的イメージに移行するなど、
絶えず変貌を続け、晩年にいたるまで尽きることのない創作意欲を示した。


抽象と構成主義

絵画における再現性の拒否と自律性確立の要請が、革新的な芸術家たちを抽象表現に向わせた。
ロシア生まれのワシリー・カンディンスキーは、抽象絵画のさまざまな可能性を探り、晩年には、
厳しい全体構成のなかに無数の小さな形態が乱舞する「縞」のような偉大な総合にまで達した。
動きの表現に拘った未来派に刺激を受けたロシアのミハイル・ラリオノフとナタリア・ゴンチャロヴァは、
「レイヨニムス」(光輝主義)と呼ばれる抽象表現を試みている。
レイヨニムスの抽象から、カジミール・マレーヴィッチを中心とする「シュプレマティスム」(絶対主義)の抽象が生まれた。
現実との関係を否定して、絵自体の絶対的価値を求めたシュプレマティスムの極限の絵は、白地に白い正方形を描くという
何も描かれていないように見える絵である。観られるという現実との関係も否定するものである。芸術というより頓智合戦ですな。
当初シュプレマティスムに加わっていた、ヴラディミール・タトリン、アントワーヌ・ペヴスネル、ナウム・ガボは、
鋼鉄を材料としていくつもの部品から全体を構成する「構成主義」の運動を始めた。
幾何学的な抽象のもう一つの極限である、垂直線と水平線の構図に三原色を組み合わせるという「新造形主義」は、絵画のみならず建築やデザインにも拡がり、日常生活にも浸透した。


ダダ・シュルレアリスムと幻想

抽象絵画は、絵画が現実世界の再現を拒否して、色や形などの造形要素だけで自律的な表現世界を作り上げようとするものであった。
それに対して、同じように再現性を否定しながら、絵画の自律性を求めるのではなく、
人間の心のなかの未知の世界を探ろうとする動きが、やはり20世紀美術の重要な流れとして認められる。
広い意味で幻想絵画と呼ばれるものがそれである。
このような幻想絵画は、むろんいつの時代にも存在し得るものであり、
特に世紀末の象徴派のなかにその代表的事例を見ることが出来るが、
20世紀においては、一時期のピカソやパウル・クレー、マルク・シャガールなどのような特異な才能を生み出したことと、
限りなく複雑化して行く社会に対するひそかな不安がさまざまな反応を呼び起こしたことによって、かつてないほど多様なものとなっているのである。
イタリアの「形而上派」の代表的画家の、ジォルジオ・デ・キリコは、
静まりかえった広場、人気のない建物、長くのびた影などを主要モチーフとした
白日夢のような一連の町の風景(「街の神秘と憂愁」等)において、どこか郷愁を誘う詩情にも欠けていない神秘的雰囲気と
不気味な不安感を見事に造形化して見せた。
それは、機械文明を讃美する未来派の騒々しい楽観主義のちょうど裏返しの世界と言ってよい。
キリコが鋭敏に感じ取った不安は、WWⅠという未曾有の災厄によって現実のものとなった。
デ・キリコの子孫でキュビスムに心頭したキリコ・キュービィは、人間を支配する神の脅威を感じ取り、
ニーチェの理想とする「超人」になり、アストラギウス銀河の平和の為に神を殺した。
戦争を生み出した文化や社会に憎悪した芸術家たちは、やけくそになり、社会や文化の全てを否定する「ダダ」の運動を始めた。
運動の陰には、ウルトラマンに倒されたダダ星人の息子の暗躍があったのは間違いない。
ダダイストのデュシャンは、便器を「泉」と題して展覧会に出品した。
ダダの運動は、あらゆるやり方で価値の転換を試みた。
それは過去の芸術や文化の徹底した破壊と否定の運動だったのである。
ダダに続いて登場した怪獣ブルトンに触発されて、
シュルレアリスムの運動が始まった。
シュルレアリスムは、ダダの否定の後を受けて、夢や無意識や非合理の世界を解放することによって新しい価値を創造しようとした。
ドイツのマックス・エルンスト、
スペインのサルバドール・ダリ、
ベルギーのルネ・マグリット、
フランスのイヴ・タンギーなどのシュルレアリストたちは、それぞれに想像力を駆使して、夢と現実が矛盾することなく一つの世界を形作るような「超現実」を実現しようとした。
その理論は、1924年に詩人のアンドレ・ブルトンが発表した「シュルレアリスム宣言」にまとめられているが、
技法は「デペイズマン」「オートマティスム」「フロッタージュ」「デカルコマニー」などの多くの新しい方法が用いられた。


エコール・ド・パリと素朴派

様々な絵画運動に参加せずに自己の世界を表現し続けた画家たちももちろんいた。
プロは「エコール・ド・パリ」と呼ばれ、
素人画家たちは「素朴派」と呼ばれた。

ⅩⅠ現代Ⅱ 

ⅩⅠa建築――ポストモダンへ向って

シドニーのオペラハウスは良くも悪くも現代建築の豊かな混沌を象徴した存在。
「形態は機能に従う」というのが機能主義の理念であったが、
新しい動向は、「形態は機能を表現する」あるいは「機能を生み出す」、さらには「機能に優先する」という考え方。
過去の様式を自由に取り入れて大胆な形態の組み合わせを見せるポスト・モダンの流れも、その新しい動向を反映している。


ⅩⅠb戦中から戦後へ

文学の実存主義の影響がある。


ⅩⅠc抽象表現主義の波

定規やコンパスによる合理的構成を拒否して、
激しい筆触や強烈な色彩に直に感情表現を狙わせようとする「表現主義的」な熱い抽象の波が来た。
「ターシュ」(色の染み)を多用したために、「タシスム」とも呼ばれた。
「アンフォルメル」という名称も、元は「不定型なもの」という意味。
「アクション・ペインティング」も生まれた。
上から絵具を滴らせながら画面全体を覆う描き方で、「行為の軌跡」より
色面の拡がりを重要視する絵は、「色面絵画」とも言われる。


ⅩⅠdネオ・ダダとポップ・アート

抽象表現主義への反発として1950年代の末から登場して来たネオ・ダダとポップ・アートは、
逆に卑俗なまでの日常的現実を改めて芸術の世界に持ち込むこととなった。
だがもちろん、その「現実への復帰」は、かつての再現的写実主義の復活ではない。
ルネサンス以来続いてきた伝統的な写実表現が、三次元の現実世界をそれらしく二次元の画面に再現すること。
つまり現実のイメージ化であったのに対し、ネオ・ダダやポップの芸術家たちが試みたのは、イメージのオブジェ化であった。
ネオ・ダダを代表するジャスパー・ジョーンズは、アメリカの国旗、標的、地図、数字等を主題としたシリーズ作品において、
抽象表現主義に対する正面切ったアンチテーゼを提示した。
これらはきわめて明確な内容を持った具体的イメージであり、日常見慣れた現実的存在であって、
ポロックやスティルの超越的世界とは対照的である。
しかしそれと同時に、これらのイメージが、本来厚みも奥行きもない二次元の存在であることは注目に値する。
ジョーンズは、旗や標的を画面の平面と重ね合わせることによって、
これら平面的なイメージも実は現実的な「もの」に他ならないことを逆に証明して見せた。
時には、その「オブジェ性」を強調する為、いくつもの旗を重ねたり、
地図の色を勝手に変えたりもするのである。
ロバート・ラウシェンバーグは更にオブジェ性を強調する為に、「モノグラム」のような、現実の立体的なオブジェを作品に持ち込むコンバイン・ペインティング(合体絵画)すら試みた。
日常的現実への復帰とイメージのオブジェ化を特色とするポップ・アートはフランスでは、
あらゆるものを集める「アッサンブラージュ」(集合)芸術、
何枚も貼り重ねられたポスターを引き破る逆コラージュ、
名作のパロディをする「ヌーヴォー・レアリスム」(新しい写実主義)
などと呼ばれる。


ⅩⅠe空間と運動


視覚効果(オプティカリティ)を徹底的に追求した「オップ・アート」。
モーターなどによる運動や光、音なども取れいれた「キネティック・アート」(動く芸術)。
「ライト・アート」(光の芸術)。
明確な境界線を持つ色面配置や変形カンバスの「ハード・エッジ派」。
幾何学的抽象絵画の流れの「ミニアル・アート」等。


ⅩⅠf表現世界の拡大


かつては「フォーヴィスム」、「キュビスム」、「シュルレアリスム」など、主として「イズム」(主義)
によって捉えられてきた美術の流れが、1960年代以降、
「ポップ・アート」、「オップ・アート」、「キネティック・アート」など、
もっぱら「アート」(芸術)という名称で呼ばれるようになってきた意味は、
美術の枠の中での運動を否定し、美術を否定し、それ自体で新しい別の「芸術」を生み出そうとしているのだ。
それらの新しい「アート」のなかには、「ライト・アート」や「ランド・アート」(土地の芸術)のように、
新しい方法や材料を追求しているものもあれば、
「ミニマル・アート」や「コンセプチュアル・アート」のように、
芸術の在り方に問題意識を投げつけるものもある。
現代美術は既に美術であることを放棄した。
わけのわからん現代芸術には当たり外れが大きい。
現代美術に通じる全ての主義の先駆者である、
近代芸術の開祖、世紀の大巨人
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
の作品があれば、美術愛好家は一生困らないであろう。
美術の歴史は既に終わった。
美術は死んだ、この世のクソゲー(ジュツ)を見よ。
クソゲーが蔓延り悪の天下だ。
芸術が死んだ証拠だ。
美術は死んだのだ。
ゴヤは偉大な発明をした。
魂を現世で救う芸術を発明した。
観て感動出来なければ全てが無意味だ。
魂が救われない芸術にはなんの価値もない。
ゴヤこそが芸術だ。
ゴヤが世界一だ。

« 『魔剣天翔』 森博嗣 講談社文庫 | トップページ | 『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』 スティーグ・ラーソン 早川 »

美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1236689/30312481

この記事へのトラックバック一覧です: 『西洋美術史』 高階秀爾 美術出版社 :

« 『魔剣天翔』 森博嗣 講談社文庫 | トップページ | 『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』 スティーグ・ラーソン 早川 »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック